『マイ・ラウンジ・ミュージック』への思い 2017 秋 ① ~駆け出しの頃
2017年 09月 06日
さて、11/23(木)勤労感謝の日に吉祥寺【サムタイム】にて行われる、板垣光弘ソロピアノ『マイ・ラウンジ・ミュージック』CD発売記念vol 2 秋の前に、『マイ・ラウンジ・ミュージック』への思いと題したコラムを再開したいと思います。今日は第1回です。
僕はライブハウスやホールなどに来てくださったお客さんの前でギンギンにPianoを演奏するタイプのミュージシャンなのですが、一方でBarやホテルラウンジなどでその場の雰囲気に合わせて一人で静かにPianoを弾くような仕事もしています。前者をライブ演奏とすれば、後者をラウンジ演奏と言います。
ラウンジ演奏をBGMなどと言って一つ下の部類と考える人もいますが、実はこの十数年間僕は両方のシーンで丁寧に仕事をしてきました。
1990年頃の日本は世の中がバブル景気に浮かれていて、ジャズのシーンで言えばライブハウスは常に満員。大きなジャズフェスも多く開催され、20代の若いミュージシャンはみなバークリー音楽院などアメリカへ留学、そして帰国した彼らは、優秀であればバンバンとアルバムをリリースしてもらえるという夢のような世界。そんな世界に憧れていた若き大学生であった板垣はいざ、ジャズの世界での修業に飛び込んだのでありますが。。。
いざ飛び込んで見るとバブルは崩壊、ライブハウスは閑古鳥、仕事なんてほとんどありゃしない。まるで焼け野原の様。あのお祭り騒ぎを夢見てジャズミュージシャンを目指し始めた若者たちは、留学するお金など勿論無いのでジャズを勉強するなら基本先輩ミュージシャンのローディーになるか、弟子入りするしかありません。みんながみんなザ・叩き上げ。演奏の場はステージではなく路上に求める事になります。当時の新宿、池袋、新橋駅前などには勢いのいい若いジャズのストリートミュージシャンで溢れかえっていました。
そうはいっても、僕の場合Pianoを路上に持ち込むわけにも行かない。ただ仕事は選ばなければない事もなかったんです。ただギャラはバブル時代に良い思いをした僕らの少し上の先輩ミュージシャンが絶対に引き受けない様な極めて安い値段。そして求められるのは彼らのプライドが許さないような雑多な演奏内容。つまり会場はホストクラブや狭い飲み屋さん。ジャズだけでなく郷ひろみ演れと言われればやったし、ひばりちゃんやってよぉ〜といわれればやっぱりやったし、演歌、シャンソン、ムード歌謡、何でもやりました。僕には信念があって「レッスンでも、採譜でも何でもいい。ミュージシャンは絶対に音楽で食わなければいけない」と常に思っていました。もちろんこの頃はトラックの運転手や弁当の配達など他のアルバイトもしていましたが。駆け出しの頃この様な時代背景だった僕らは、実は求められるあらゆる音楽のジャンルに対応し、丁寧に仕事をする人が多いんです。
そんな訳で、来た仕事は断らず、丁寧に向き合う事を心がけてきたら、最近ではラウンジ演奏も一流ホテルなど比較的良い環境の中でさせて頂けるようになり、継続は力なりとはよく言ったものでラウンジ演奏という範疇で、洗練されたかなりの数のレパートリーがたまってきました。
それらをいつかレコーディングしてみたいという思いが、日を追うごとに強くなっていき、ライブシーンで活動するPianistによるラウンジ演奏をテーマにしたソロピアノアルバム『マイ・ラウンジ・ミュージック』へとつながっていくのです。
つづく
by itasunsun
| 2017-09-06 00:18
| 音楽